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あゆむ山の会創立55周年記念会報 〔B-5版〕

山とともに

あゆむ山の会 50+5年のあゆみ

1961(s36)2016(h28)

「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を目指して

〔創立50+5周年記念会報編集委員会より〕

創立50+5周年記念会報、創立55周年に間に合わせて始めましたが、大変遅れて出来上がりました。内容は50周年記念会報(372頁)+5年分(150頁)を季刊報に掲載しているものを抜粋してプラスしたものです(合計524頁)
 50周年年記念会報は薄茶色でしたが55周年記念会報は若竹色にしました。
 今までは創立50周年記念会報を読んでいただきましたが、無くなってしまったため作成しました。(出来るだけ誤字、当て字なども訂正しました。)
 目的は新しくリーダー部員になられた方に、会の創立当初はこのような活動をしていたのか、会の成り立ちから今日までの経過と、これを参考に今後の進む方向と登山の事故防止を見出してもらえれば幸いです。
 リーダー部員の皆様、会のためと言うと行き詰まりを感じます。自分の行きたいところを見出して会山行として計画してください。
 そして「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を目指して活動してください。
 これからも宜しくお願いします。
 編集委員の山田さん、島田さんご協力ありがとうございました。

20190501 あゆむ山の会 名誉会長(編集委員長) 佐藤 求

           あゆむ山の会企画会(事務局)

創立30周年&50周年記念ワッペン

あゆむ山の会創立55周年記念会報\文太のブログ日記より

20190510『山とともに あゆむ山の会 50+5年のあゆみ』いただく.files5\button.htm

s-山とともに0001

表紙
 
 日頃、あゆむ山の会にご支援いただきありがとうございます。

 あゆむ山の会では創立55周年記念会報として、創立50周年記念会報に5年分をプラスして新たに作成しました。
 大変遅れてしまいましたが何とか完成しました。
 目的は新しくあゆむ山の会リーダー部員になられた方に、会の創立当初はこのような活動をしていたのか、会の成り立ちから今日までの経過と、これを参考に今後の進む方向と登山の事故防止と、会のサブテーマであります「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を目指して活動してもらうために配布しています。
 創立50周年記念会報がなくなりましたので新たに作成しました。 
 今回、出来るだけ誤字、当て字なども訂正しました。
 大変お粗末ですが読んでいただければ幸いです。
 今後ともあゆむ山の会にご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

あゆむ山の会企画会(事務局) 佐藤 求

img098雪の岩稜を目指して

        あゆむ山の会会長  no001 佐藤 求

 会創立1961年(昭和36年)に活動し始めて、雪の岩稜縦走を目的に掲げて活動し始めたのは、いつのころからか考えてみました。

 雪の岩稜縦走の楽しみは、テント内で支度を済ませ新雪に飛び出して、五感に感じる感覚と周りの雪景色にはいつも感激します。

 しかし楽しい季節は何と言っても残雪期の雪の岩稜縦走です。
岩と雪のミックスをアイゼンで感じ取る感覚。日の出前は凍りついたスカブラの上を、日の出とともに解け始める残雪をザクザクと、岩場をガリガリとまたピッケルから伝わる手の感覚が忘れることができません。

 四季の4合宿を行うようになり雪の岩稜縦走が山の総合力として見るようになってきました。
 そのため雪の岩稜縦走を行うためには、オールラウンドの技術力が必要になってきました。

 具体的には春夏秋冬山の縦走技術、それにかかわる雪上・ラッセル・雪洞技術、アイスクライミング技術、山スキー技術、登攀技術とアイゼン登攀技術、沢登り・渡渉技術。地図読み・GPS技術。救急法技術。とともにこれらを行うために会活動を支える集中山行、月例登山と個人山行など。
 現在テーマに掲げて行っている「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」が成り立ってきました。
 ただ会行事として行う上で、これらの技術力は会の総合力をあげるうえで高度な技術力ではなく平均して習得していなくてはなりません。
 たとえば登攀技術力は昔風で言いますと三級+一部四級程度。壁というより稜。実績を掲げてみました。
 
 谷川岳でいえばマチガ沢東南稜、シンセン沢から始まって烏帽子岩奥壁南稜、中央稜、中央カンテ。幽ノ沢V字状岸壁右ルートなど。
 
 南ア
北岳バットレスでいえば四尾根、中央稜など。
  
 北ア穂高岳滝谷四尾根・二尾根北山稜、ドーム、クラック尾根、前穂北壁Aフェース、前穂Ⅳ峰北条新村ルート、明神岳東稜、北尾根など。 
 剣岳周辺
では八峰、源次郎尾根、チンネ左稜線、早月尾根、北方稜線など。
 
 八ヶ岳
では赤岳主稜南峰、北方リッジ、阿弥陀岳南稜・北稜、横岳石尊稜、小同心クラク、裏同心ルンゼ、稲子岳。
 個人山行ではこれ以上レベルの高い会員も多くいて、会の総合力アップに力を添えています。
 
 そして雪の岩稜を目指すためには、四季の四合宿も春山・冬山合宿に力を入れて活動してきました。
 
 冬山合宿
は、当初は谷川連峰付近が多く行われました。また八ヶ岳、北ア中崎尾根から槍ヶ岳、西穂高岳、大喰岳西尾根、涸沢岳、剣岳。南ア赤石岳・荒川岳、光岳・聖岳・茶臼岳、白根三山、深南部。中央ア摺古木・越百・南駒ケ岳・空木岳など。

春山合宿で東北飯豊連峰、朝日連峰。谷川連峰。北ア槍ケ岳集中で北鎌尾根と表銀座・穂高岳、涸沢定着、笠ヶ岳・双六岳、剣岳。中央ア木曽駒・宝剣岳・空木岳。南会津の山々。南ア北岳、塩見岳、甲斐駒・千丈。白山。後立山連峰。八ヶ岳定着・全山縦走。

夏山合宿 北ア白馬三山縦走、涸沢定着、剣岳、後立山連峰主脈縦走、東北焼石連峰縦走、北海道日高山脈縦走

秋山合宿 表銀座縦走、裏銀座縦走、明神東稜、谷川南面の沢・北面の沢、奥秩父縦走、丹沢主脈縦走、越後三山縦走、沢の合宿も多く行いました。

集中山行は谷川岳集中、南ア北岳集中、北ア槍ヶ岳集中、剣岳集中、冬山合宿で北ア槍ヶ岳集中、春山合宿で谷川岳集中など。

あたらしい会員の入会などで何回となく繰り返し行われて行きました。

雪の岩稜は早月尾根、北方稜線、北鎌尾根、硫黄尾根、白馬主稜、北尾根など。

会山行は参加者の力量の幅がありますので場所選びが大変です。会員構成で力量が高いときは少しハードな構成で組むことができます。また登攀などは他会で力量をつけてきた会員などはが入会してくるとレベルアップを図れます。ただ岩登りの会ではありませんのでこの辺の調整が難しいところでした。

集中山行は日数が長く予備日など含みますので無駄日が出かねません。今思うとよくできたものと感心します。これらも会総合力の一つと考えます。

私が雪の岩稜縦走で思い出に残るものは1987(S63)年の春山合宿で北アルプスCL室井 実さんの槍ヶ岳北鎌尾根7名2テント(佐藤求、金子、山田、野村、太田、吉葉)とCL中澤さんの表銀座縦走6名(小野、大坪、川谷、権頭、堀)

個人山行ではそれほどのレベルではありませんが、会総合力として13名での会山行となると、しっかりしたリーダーと力量の揃ったメンバーでなければできない。

当時北鎌尾根も身の丈以上のタイヤを付けた何台もの大型ダンプ、大型ブルトーザが作業をしている高瀬ダムを通り、湯俣温泉を過ぎてから一部へ吊りのようなところを通る。今思うとここが核心部。腐ったようにロープと残置ハーケン、滑って落ちれば下は雪解け水での激流、結果はわかり切っている。その後斜めになったつり橋。ニホンザルが迎えてくれた。悪天候で1日独標当たりのテント場で停滞。翌日天気の中を登頂。

東鎌尾根パーティも残雪と岩のミックスと悪天候の中女性4人を連れてCL中澤さんとSL小野さんの指揮のもと槍ヶ岳へ。

合流した時は感激の一言。槍ヶ岳をバックに槍沢での写真、河童橋での記念写真を見ると当時のことが今でも濃厚に思い出されます。

これからの会の進む方向としてはやはり雪の岩稜目指して進むことと思いますが、会構成メンバーと時代のニーズを取り入れ「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を掲げて行っていくことと思います。


※山行経歴は252頁から「あゆむ山の会全山行記録」を参照してください
※20頁岩井田正昭会員「リーダー部創設の前後」

「会合宿としてS46年以降の約10年の記録抜粋」参照してください。
※細かい合宿内容は138頁から「第九部 思い出の合宿」をご覧ください。

あゆむ山の会創立55周年記念会報 目 次

2011(H23).032017(H29).02

雪の岩稜を目指して あゆむ山の会 会長 佐藤 求   376頁
あゆむ山の会創立55周年記念祝賀会   379
あゆむ山の会創立55周年記念登山   382
あゆむ山の会創立55周年記念追悼山行   397
あゆむ山の会創立55周年記念海外登山   408
四季の四合宿   432
各種講習会   445
  (雪上講習会・ラッセル講習会・雪洞講習会・アイスクライミング講習会・岩登り講習会・沢登り講習会・渡渉講習会・アイゼン登攀講習会・救急法講習会・地図読みGPS講習会)
各種研修会   468
  (リーダー研修会・岩場システム研修会・岩場体験研修会)
レベルアップ登攀   474
月例登山クラブ(運営仕様は59頁参照)   485
100名山クラブ(運営仕様は62頁参照)   479
  (100名山登頂祝賀会・宇津木さん海外登山帰国・新人歓迎会・忘年会)
海外登山クラブの設立(あゆむ山の会海外登山の記録(全年)   496
総会と打ち上げ・総会資料打ち合わせ会・例会・企画会・リーダー部会・合宿打合せ会・あゆむ祭・OGOB会・会友と家族会員・暑気払い・忘年会・新年会、装備点検、各種机上講習会、壮行会、海外登山報告会、新人歓迎会

埼玉県山岳連盟行事・さいたま市山岳連盟講習会・研修会   498
 (評議委員総会、理事会、指導員総会、冬山遭難防止講習会、積雪期登山講習会・研修会・緊急避難講習会、登攀講習会・研修会、自然保護活動、その他)

さいたま市山岳連盟行事と講習会・研修会
  (総会、理事会、市民ハイキング、忘年会、その他)

その他
あゆむ山の会遭難対策委員会(登山活動のリスク管理)   500

あゆむ山の会制作物紹介   504
総会資料・例会議題・季刊報・記念会報・ホームページ
あゆむ山の会思い出の写真と品物 (+5年分 2012(H24)2016(H28))   505
あゆむ山の会データ一覧表(+5年分 2012(H24)2016(H28))   507
あゆむ山の会全会山行一覧(ワード) (+5年分 2012(H24)2016(H28))   508
※各項目の詳細内容は創立50周年記念会報の項目を参照してください。
編集後記   524

s-山とともに0003

創立50周年記念会旗&バンダナ
あゆむ山の会 登山活動のリスク管理机上講習会資料 佐藤 求
(創立周年55年記念会報・ホームページに掲載したものにリンクしてあります。)

文太のブログ日記20190510
『山とともに あゆむ山の会 50年+5年のあゆみ』いただく

blog.livedoor.jp/buntak2/archives/52541071.html -

 2019年5月13日 - と思ったが、それは会創立からの会長:佐藤求さんが、後進のために「あゆむ山の会の全てを知って欲しい」という思いからの会報 ... 編修後記に、「新しくリーダー部員になられる会員の皆様に、会の歩んできた道を理解してもらうため「創立50周年記念会報」を配布してきましたが、創立50周年記念会報が .... 「+5年」の中では、55周年記念祝賀会、記念国内山行、記念追悼山行、記念海外登山(台湾・玉山、ヨーロッパ ...


 久しぶりに特厚の会報が届いた。佐藤求さんから「あゆむ山の会 50年+5年のあゆみ」とサブタイトルの付いた『山とともに』だ。
 埼玉県山岳連盟の中では、伝統ある老舗山岳会の会報です。折角なので、内容を一部紹介したいと思います。

 2011年11月20日、会創立50周年で作成した『山とともに あゆむ山の会 50年のあゆみ』に、最近の5年間(2012~2016)をプラスした会報。総ページ524ページ。前回の373ページにプラス151ページ。

 なぜこの様な形になったのだろうか?と思ったが、それは会創立からの会長:佐藤求さんが、後進のために「あゆむ山の会の全てを知って欲しい」という思いからの会報であると理解しました。

 編修後記に、「新しくリーダー部員になられる会員の皆様に、会の歩んできた道を理解してもらうため「創立50周年記念会報」を配布してきましたが、創立50周年記念会報がなくなりましたので、5年分をプラスして新たに作成しました。
 新しく会を指導していただくリーダー部員の皆様に、現在、過去、未来と会の流れをご理解いただければ幸いです。」とありました。

 「50年+5年のあゆみ」ですから、各会員の思い出や随想、記録や山行報告、記念山行、記念事業がたくさんちりばめられていますが、この会報の特色とも言うべき、「組織(会)運営」についてかなりのページが割かれています。それだけ、会の運営に重きを置いているといえ、会運営の参考になること大です。第三部から第七部まで、実に60pに渡って、伝えたい内容が記述されています。

「第三部 会組織と活動内容」には、
1.会活動の目的と方針、

2.会の組織図からはじまり、Ⅰ総会、Ⅱ企画会・リーダー会、Ⅲ例会、ⅣOB・OG会、Ⅴ会友・家族会員とその内容が具体的に記されている。
 また、

3.山行形態【実践面の構成】として、
本山行四合宿--春夏秋冬合宿-スキー合宿、山スキー合宿
準山行--月例登山クラブ、100名山登山クラブ、海外登山クラブ、レベルアップ山行・登攀、OB・OG会温泉ハイキング、新人歓迎山行、追悼山行、忘年山行、山菜ハイキング、日山協・県岳連・さいたま市岳連行事、等のバラエティな山行
個人山行--数が膨大になるので未記載
講習会--雪上、アイスクライミング、ラッセル、雪洞、山スキー、岩登り、アイゼン登攀、沢登り、徒渉、フリークライミング、スノーシュー、ボッカ訓練、地図読み、救急法、例会時の安全登山、例会時のロープワーク講習会、と多岐多彩な講習会
行事--総会、総会資料打ち合わせ会、あゆむ祭、装備点検、忘年会、新年会、暑気払い が上げられ、それぞれの実施内容が具体的に報告されている。
 また、項目を変えて

4.月例登山クラブと百名山クラブとして、
 「月例山行の手引き」(主旨、目的、計画するにあたっての細かな決めごと、役割分担、基本装備、計画書・報告書の作成目的、リーダーが現地で登山前に行うこと、等説明付き)
 「百名山クラブ方針」(目的、取り決め事項、具体的な方策、等)が紹介されている。

5.各種講習会(会方針「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を実践していく意味で各講習会に力を入れて行っています。その実例を報告。)

6.遭難防止と救助体制(下山報告専用電話、留守宅からの連絡マニュアル、「山のKYT(危険予知トレーニング)」としてのヒヤリハット報告、事故発生連絡チャート図)

「第四部 対外関係」には、日本山岳協会関係、埼玉県山岳連盟関係、さいたま市山岳連盟関係として、所属している上部団体との関わりやその中での活動が紹介されています。

「第五部 記念山行と行事」では、

1.創立○周年記念山行、

2.創立○周年記念行事、

3.あゆむ祭 全記録(回、期日、場所、監事)

4.追悼山行(過去2件、3名の雪崩遭難の追悼山行)

5.新人歓迎山行(1975~1983年)

6.山菜山行・釣り山行

7.装備点検

8.忘年会 9.新年会 10.その他

「第六部 海外登山」では、
第一回海外登山 ヨーロッパアルプス(35周年)、第二回海外登山 ヨーロッパアルプス(40周年)、第三回海外登山 キナバル(45周年)、第四回海外登山 ヨーロッパアルプス(50周年)

「第七部 制作物の紹介」
1.会報 1961年・創刊号~2001年・26号(編集委員長、発行年月、頁数、作成方法他)

2.月報(昭和40年から発行平成23年で428号)
内容は、①山行計画 ②山行報告 ③各係、例会係(例会計画日・例会出席者)、企画係報告 ④計画書提出係坂好記録 ⑤山のヒヤリハット ⑥留守宅予定表 ⑦具体的山行報告と写真掲載 ⑧その他 で、都合で例会に出られない場合でも、月報を見れば会の動きが分かる内容となっている。

3.例会日誌と例会議題

4.総会資料(総会資料の一例 平成17年度の目次)

5.各報告書 6.会旗 7.ワッペン 8.会員証 9.歌集 10.その他(新人手帳、あゆむ山の会のしおり)

等、組織運営上の決めごとや約束、マニュアル等が丁寧に紹介されています。

また、過去二件の雪崩遭難の記録は、会の歴史として知って欲しいと、その詳細が「遭難報告書」より抄録。また、故人の想い出として人物紹介と山行記録も紹介されています。

 「+5年」の中では、55周年記念祝賀会、記念国内山行、記念追悼山行、記念海外登山(台湾・玉山、ヨーロッパアルプス)、ヨーロッパアルプス強化山行、富士山高所トレーニングの他、春夏秋冬四合宿、各種講習会報告(「沢登り講習会資料」、地図読み・GPS講習会 等)、各種研修会(リーダー、岩場システム、岩場体験、レベルアップ山行<二子山中央稜>)、月例登山クラブ、海外登山クラブ(設立)、各種行事、登山活動のリスク管理<500~503pで、「安全・安心で楽しい登山+登山技術の習得」を強調>

以上、「あゆむ山の会」の大百科、大全です。

機会があったら、一度目を通してください。

 尚、これだけ「会山行・会行事」が満載だと、「個人山行」はどうされているのか?という疑問もあるかと思います。
 この件につきましては、会報の中で「(P40)…最終的には実践面では「冬の岩稜縦走」を会の目的に掲げて活動を続けています。…中略…3級一部4級ルート…いわば「日本のクラッシックルート」的なものの実践で楽しんでいます。これ以上のグレードは個人山行で行っています。」、「(P55)③個人山行 会のレベルアップと発展は、会員個人のレベルアップが計れなくては実現できません。個人のレベルが上がれば必然的に会に還元されてきます。そのためには個人山行も、盛況に行われる環境をつくっていかなければなりません。ただ会行事との兼ね合いもあります。個人山行と会行事では会行事優先に行ってきています。ただ海外登山、岳連行事などのように優先順位は考慮して行ってきています。 組織された会を維持していくために、あゆむ山の会としてこのように行ってきました。ただ会行事が多すぎると個人山行ができないという、弊害も起きてきていました。そのため個人山行においても内容などによってとはリーダー部で判断して認めてきています。 会山行記録簿にも個人山行でも海外登山については記載してあります。また会の目的にない冬の登攀やハードな登攀など、会で行うことのない内容については認めてきています。」と既述されています。詳細は、直接会長さんや会員に聞いてみましょう。


以上
文太のブログ日記:20190510『山とともに あゆむ山の会 50年+5ねんのあゆみ』いただく
Posted by buntak2 at 23:21│
深谷山岳会会員 加藤氏のブログから許可を得て引用

s-山とともに0002

裏表紙

余談・雑談
 1961(昭和36)年に山の会を立ち上げ翌1962(昭和37)年から2016(平成28)年、54年間会長を引き受け現在名誉会長として在籍しています。山の会を立ち上げと同時に国鉄に入り定年まで就労してきました。親も国鉄でしたので二代ということです。赴任した職場には東北特急のC62SLが走っていました。当時からマニアの私はSLの大きさに感激して仕事をしていました。C62の機関室に座っているところを撮った写真を今も見て感激しています。
 
 思い返しますと、高校生の頃長兄に連れられて浅間高原に旅したのを覚えています。まだ草軽電鉄が走っていました。また昭和34-5年頃ですか夜行で熊さん、板さんなどと中央沿線の扇山へ、暗い夜道をわけもわからず歩いて適当なところでテントを張り宿泊しました。朝起きると森林伐採中の中でした。すがすがしい朝を迎えて感激したのが昨日のようです。

 会を立ち上げ活動してきましたが、先輩がいませんでしたので技術的なものを学ぶ場所がありません、国鉄の職場は当時から登山クラブが積極的でした。世の中も3人寄れば山岳会と言われる時代でした。国鉄の先輩がやっていた鴻巣の山岳会に入り雪山技術を学びそれを会に持ち帰り皆で繰り返しました。
 当時から雪山はほとんど谷川連峰でした。土合駅に着くとホームから土合山の家方面に脱兎のごとくかけ逃げる人が多くいました。駅員が追いかけるも多勢に無勢。賢い(かしこい)山屋は捕まる人はいませんでした。私は国鉄職員。どこへ行っても無礼講。国鉄作業も好きで入ったため腕のよさは言うまでもありません。鉄道マニアにはいろいろありますが私の場合は「(なお)(てつ)」というところですか、故障したり壊れた車両の修繕です。国鉄の現場には仕事と趣味が一緒の人が多くいました。長く勤めて思ったことは腕が良いため上へ上へ行き、デスクワークになると現場の仕事ができなくなるとともに、山とも遠ざかる環境になってしまいます。趣味は登山と直接車両に携わりたい自分はいろいろ模索しました?今思うと良き時代でした。
 
 退職後は、親も行った日本全国ローカル線の旅を目指しましたが、ある日突然民営化になり退職者の優遇処置が廃止になってしまいました。いろいろ考えた末、車の運転好きな私は100キロ、200キロ、燃料があるうちは休まず走っても何の苦もありません。そのため日本全国車の旅を行うことにしました。と言ってどこへ行けばよいのか目的が定まりません。「そうだ!」深田久弥の日本100名山目指して車の旅を行おうとホンダのバモス、当然山道なので四駆を購入して北は北海道、南は九州から山を登りながらの旅。車で行くのであれば一人でも二人でも同じ、では夫婦で行けばと二人で行くことにしました。バモスは二人で楽に横になって寝ることができます。車は雨の中でも、どのような場所でも寝ることができます。車で寝たり旅館に泊まったり。一山登って次の登山口には夕方に着くため、昼間はこんでいたり狭い駐車スペースも誰もいない。いろいろ料理をして、飲んで朝早く登り次の登山口へ。楽しい100名山の旅です。

 山の会も間もなく60周年を迎えるとともに世代交代を迎えます。私個人としてもう少し登山を続けていければと精進しています。
 
2005(H17).07.17 63歳の誕生日を阿寒湖湖畔キャンプ場で迎える